ショパンな女の話
遠いところに旅立っていった彼。 「それじゃあまた。元気で。」と笑って旅立っていった彼。 「またね」という言葉は時に残酷な言葉になるということを、俺は知っていた。けれど、言わずにはいられないときもある。 「うん、またね。ばいばい。」 手を振る彼女を背に、彼は振り返らずに行ってしまった。ゆっくりと旋回する飛行機。それを見上げる彼女。彼女は、飛行機が見えなくなるまでずっと空を見上げていた。 「元気出せよ。一生会えないわけじゃないんだしさ。」 「大沢くんは寂しくないの?」 「んなーに言ってんの。お前の彼氏でもあるけど、あいつは俺の親友でもあるんだぜ。寂しくないわけないじゃん。ばかか。」「ばかって言わないで。」 「ばーかばーか」と、俺は彼女のほっぺをムニューと引っ張った。 「行こうぜ」 まだ目の赤い彼女を促して、俺たちは空港を後にした。 彼からは、時々メールが届いていた。俺も、ツーリングの写真や、彼女の写真を撮って、彼に送っていた。彼女も、携帯で撮った写真を、彼に送っていたようだ。男と女の感情の違いはあるにせよ、遠距離の辛さはよくわかっていたから、俺には彼女の気持ちもよくわかっていた。 パソコンを持っていない彼女に、俺は、以前自分が使っていたノートパソコンをプレゼントした。彼女は断ってきたが、「もう使ってないやつだし、パソコンがあればあいつとメールするのも楽になるし。それにパソコンだと文字入力もラクだよ。しかも写真も動画も送ってもらえるぞ。」と、彼女にノートパソコンを渡した。 「ありがとう。でも、やっぱ悪いよ。」 「じゃあ女紹介してよ。」 「今フリーの子いないもん。」 「なんだよ。じゃあ缶コーヒーでいいや。」 「あはは。うん。わかった。」と、なんだかんだ言いつつ、彼女は喜んでいたようだった。 彼女は俺のパソコンにもメールをくれるようになった。「昨日、彼からこんなメールが来た。」とか「今日は写真を送ってくれた。」とか。缶コーヒーじゃ、やっぱ安かったかなーと、ほんの少し後悔したが、ま、あいつも彼女からメールが来れば喜ぶだろうし、彼女も喜んでるし、まあいいか。と、俺はいつもの夜ツーに出かけた。 夜ツー、バイクでの夜の散歩には、ほとんど都内を走っている俺だったが、その日はなんとなく北へ向かった。 東北道、栃木I.Cを降りて、山に向かう。以前、3人で流星群を見に行った山だ。鹿に出迎えられ、峠道を走る。誰もいない頂上の駐車場で、タバコに火をつける。少し曇りがちな天気で、天の川には所々に雲がかかっていた。ゆっくりと流れる雲の中から、白鳥座が姿を現した。 白鳥座のデネブ、琴座のベガ、鷲座のアルタイル。この3つの星を繋げると、夏の大三角形になる。「あいつらが織姫と彦星なら、俺はデネブってとこかな。」なんてキザなセリフも、誰もいない山の中だから言える事だった。 でも、俺が白鳥なわけないよなあ。そんなきれいじゃない。と苦笑いしつつ、山の麓で買った缶コーヒーを飲み干した。 山からの帰り道、高速のサービスエリアで休憩している時に、携帯電話にメールが来ているのに気づいた。メールは、彼女からだった。ここ数日、彼から連絡が無いのだという。俺は、仕事が忙しいんじゃないの?と軽く返した。すると彼女から電話が掛かってきた。彼女は泣いていた。 「大丈夫だって。そんな、何日かメールが来ないぐらいで泣くなよな。あいつだって遊びで行ってるわけじゃないんだしさ。」と言いつつも、俺は考えていた。どうして、好きな人同士、離れなくてはならないのか。離れて暮らす事に、何の意味があるのか。ひとつだけ確かな事は、彼女の、彼を想う気持ちは、彼が旅立ってから1年以上経った今も、まだ少しも薄れていないという事だった。 「逢いたい。逢いたいよぅ。」と電話越しに泣く彼女に、俺は何もしてあげられなかった。彼女はひとしきり泣いたあと、口を開いた。 「ごめん。なんかさ、逢いたいなーって思うと、止まらなくて。もう少し、強くならなきゃいけないのにね。」 「いや、逢いたくてしかたないっていう気持ちはわかるよ。前に話した事があったと思うけど、俺も遠距離の経験あるからさ。」 「そっか。そうだったね・・・・・・。」沈黙する彼女。 電話越しに、かすかにショパンのノクターンが聴こえてくる。ゆるやかなピアノの音が心地いい。そういえば前に付き合っていたコも、ショパンが好きだったなあと、ふと思い出した。 軽く夢見心地気味になっていた俺に、唐突に彼女が言った。 「ねえ、織姫と彦星は、一年に一度逢えるんだよね?」 「ん?ああ。そうだよ。」 「でも私と彼は一年経っても逢えない。これって不公平じゃない?おかしいよ、絶対。うん、おかしい。」 ぶつぶつと呟く彼女の言葉に、俺は何だかおかしくなって笑ってしまった。 「お前、急に冷静になるなよな。」 「いいじゃない。泣いたらすっきりした。それよりさ、織姫の星と、彦星の星と、あともうひとつの星を繋げると、三角形になるって、知ってた?」 「ああ、白鳥座のデネブだろ?」 「つまんなーい。」と即答する彼女。 「ああ、いや、知らない。俺は何も知らない。で、それで?あともうひとつの星がなんだって?」 「あはは。うん、あのね、織姫と彦星が私と彼なら、白鳥座の星は、大沢くんかなーって思ったの。ほら、ちょうど3人で、ぴったりじゃない?」 「いやそれはちょっと。どうみても白鳥ってガラじゃないだろう。」 山の中で思っていた事を彼女が言うなんて。心の中で、おまいは俺か、とか(・∀・)人(・∀・)ケコーンとか思いつつも、軽く笑い飛ばした。 「そっか。ちょっとメルヘンだったかな。」 彼女はくすくすと笑った。 「そういえば大沢くん、今どこにいるの?家じゃないでしょ?」 「ああ、今はね、高速のサービスエリア。ちょっと散歩中でさ。」 「あ・・・ごめん。っていうかそれを早く言ってよー。」 「言う暇があったと思うのか、この泣き虫が。気づくの遅せーよ。ていうかもう電池切れ寸前なんだけど。」 「あ、ごめん。じゃ、ね。おやすみ。」 「うん。おやすみ。いい夢見ろよ。」 電話を切り、俺は自宅へとバイクを走らせた。長電話のおかげで、家に着いたのは明け方近くだった。 ――彼が旅立ってから、2回目の秋がきた。 彼女は相変わらず、時々泣きながら電話をかけてきた。それでも、友人と一緒に出かけたり、ピアノ教室に通ったりして、彼女なりに寂しさを紛らわせているようだった。そんなある日のこと。彼からメールが届いた。11月には、日本に帰ってくるという事だった。そしてその日、彼女から電話がかかってきた。 「大沢くんあのね、」 「ああ、帰ってくるんだってな。その事だろ?」 「うん。それでね、さっき、彼から電話がきたの。」 「へー、何だって?」 「あのね、帰ったら、一緒に暮らさないかって。」 「なんだってー(AA略」 「うふ。んふふふふ。」 「お前、変な笑い方すんなよ。」 「だって嬉しいんだもん。ずっと待ってたから。」 「そうだよなー。よかったじゃん。よかったな。うん。おめでとう。」 「ありがとう。」 またね、という言葉は、彼と彼女には現実のものとなった。本当に良かったなあと思いつつ、俺はふたりを祝福した。 そんなわけで、彼は無事に帰国して、今年(2005年)の2月に結婚式を挙げました。彼女はライダーではないけど、彼と一緒にタンデム生活を幸せに暮らしています。ちなみに披露宴ではずっとショパンの曲が流れていました。 |