一方通行の話

「もう、夏も終わるんだな。」
俺はキーをオフにして、バイクを降りた。

茨城県大洋村。真夏には海水浴客で賑わっていた海も、今日は誰もいない。夏の終わりに、もう一度だけ、この海に来たかった。この海じゃなければだめだった。彼女と約束した、この海じゃなければ……。

「また一緒に来ような。」
俺はそう言ったけれど、俺達は別れてしまった。

『恋愛は掛け算である』と、誰かが言ってた。そう、相手がゼロでは意味がないんだ。どんなに愛情を注いでも、どんなに相手を愛しても、相手がゼロでは、愛は成立しない。これはそんなお話。


彼女は、バイクには全然興味を示さなかった。かといって、車のほうも、(´・ω・`)知らんがな という感じだった。それでも俺はバイクが大好きだったから、晴れた日のデートには、バイクで彼女を迎えに行った。

出逢ったきっかけは、妹だった。まだ家族みんなで暮らしていた時に、妹が彼女を家に連れてきたのだ。最初は、かわいいコだなと思うだけだった(またかよ)。

俺よりふたつ年下の彼女は、それから数回、家に遊びにきた。うちはわりとフレンドリーな家族だったからか、兄妹間の仲もよくて、3人で遊びに行くことも、何度かあった。そんな事を繰り返すうちに、俺は彼女を好きになっていった。

いつしか、車で彼女を家まで送るようになった。彼女の両親は、俺の妹の兄だから、安心ねと言っていた。妹のやつ、わりと信用あるんだなと思った。

さて。好きになったものの、どうしよう。けっこう仲良くなれたけど、彼女は俺のことを、“友達の兄”としか見てくれていないだろう。当たり前の事なんだろうけど、やっぱり寂しい。

彼女は自分から積極的に何かを発言したり、行動する性格ではなかったみたいだから、とりあえず押してみる事にした。幸い、俺の気持ちに気付いた妹も協力してくれる事になったから、情報には困らなかった。

ディズニーランドが好きだと聞けば、早速誘ってみたり、猫が好きだと聞けば、二子玉川にある“ねこたま”に誘ったりした。彼女の家にも、何度も遊びにいくようになり、付き合ってくれと告白し、モジモジしながらOKをもらう。それから何回目かのデートの日に、初めて体を重ねた。俺も、彼女も、初めてだった。とても幸せな日々だった。

そんなこんなで月日は経ち、彼女とも、彼女の両親とも、かなりの仲良しになっていた。しかし、何かが足りない。一緒にいると嬉しいし、楽しいし、とても幸せな気持ちになれる。しかし、何かが足りないんだ。俺は、車で海ほたるに行った時に、うっかり「なあ、俺の事どう思ってんの?」と訊いてしまった。

――ノリで言ってしまった。今は反省している。


彼女は困った顔をして俯いてしまった。俺は慌てて、ああ、ごめんごめん。今の言葉、忘れていいよ。と言った。しばらくの沈黙ののち、彼女が小さい声で、俺にこう言った。「あなたは私にとって、一番そばにいてほしい人だけど、好きとか、そういう気持ちは、今はわからない」と。

やっぱりそうか、と思った。感じていた違和感は、これだったんだな、と思った。その日はふたりともほとんど話さずに家まで帰った。


それから2週間ほど経った頃、妹から、彼女の誕生日が近いという事を聞いた。思い立ったが吉日。早速京都に八橋を、じゃなくて、彼女へのプレゼントを買いにいった。しかし、その頃の俺はチャンバーを買ったばかりだった。貯金なんかもほとんど無く、手持ちの金もかなり少なかった。

結局、安いシルバーのリングを買ってきた(ほんとはプラチナが良かったんだけど)。

幸い、彼女がリングをつけていた時に、かわいいね、ちょっと見せてと言って、自分の指につけてみた事があった。俺の左手の小指で、ちょっときついぐらいのサイズのリングを買えば、彼女にぴったりだという事はわかっていたから、どのサイズなんだろう?と迷う事はなかった。

そして彼女の誕生日当日。仕事を終えて、まっすぐ彼女の家に向かう。チャンバーの音がうるさいから、家の手前でエンジンを切って、押していく。すると、彼女が家の前で出迎えてくれた。部屋に入り、紅茶を入れてくれる彼女。

誕生日おめでとうと言い、リングを渡す。彼女は喜んでくれたけど、ほんの少し、寂しい表情をしたような気がした。それを俺は全然気にしなかった。気のせい気のせい、みたいな感じ。彼女が楽しんでいたかは、今はあまりよく思い出せないんだけど、俺にとっては楽しい、彼女の誕生日だった。


そして翌月は、俺の誕生日の月だった。例によって、仕事帰りに彼女の家に行き、紅茶をごちそうになった。誕生日のケーキは、彼女が焼いてくれたものだった。これはすごく嬉しかったな。

バイクは寒いから、と彼女はマフラーをくれた。最高の誕生日プレゼントだった。最高の誕生日だった。この時までは。
今でも、なんでそうなったのかよく思い出せないんだけど、彼女と話をしているうちに、また“俺の事どう思ってる?”みたいな話になったんだと思う。それが、いつのまにか別れ話にまで発展していった。当然俺はゴネた。思いっきりゴネた。だって俺達はこれからジャマイカ。

しかし、やはりだめだった。これが、一方通行ってやつなんだなと、改めて思った。彼女の気持ちは、変わらなかった。あとにも先にも、これが、彼女が強く自分の意思表示をしたことだった。普段、ほとんど意志表示をする事がなかった彼女だった。何をするにも俺が決めていた。どこに行くにも、俺が決めていたから、こういう、意思表示をする事は喜ばしい事なんだが、今思えば、なんだか皮肉だなと思う。


最後の言葉は彼女に言ってもらった。俺は彼女のことを愛していたし、結婚するつもりでいた。だから、俺からは別れの言葉は言えなかった。最後に、彼女に貸していた一枚のCDを受け取ったとき、その重さに泣きそうになった。やっぱり別れたくない。彼女を抱きしめたかった。ずっと一緒にいたかった。

『運命は不思議だね…』

最後に彼女の部屋でかかっていた曲。街で耳にするたびに辛かったけど、時間の経過と共に辛い思いも薄れていった。この歌の歌詞のように、錆び付いていた時間が動き出した気がした。


「好きな人ができた。」と、たった一言だけ、彼女に告げた。そして今日、俺は彼女と果たせなかった約束を果たしに、この海へとバイクを走らせた。彼女に、さよならを告げるために。

果たせなかった約束。それを果たすためにここに来たけれど、俺の心の中に、彼女はもういないということに気付いた。あんなに愛していたのに、不思議だなと思う。時は確実に流れているんだろうなと思った。
彼女と過ごした思い出は、やさしく、そしてあたたかい、夏の終わりの太陽みたいだなと思った。



恋愛話メニューに戻る indexに戻る