ケーキ屋の女の話

あなたは、他人の子供を愛する事ができますか?これは、恋愛と呼ぶには少々幼く、気恥ずかしいお話。



俺の名は大沢たかお。バイクが大好きで、給料の大半をガソリン代やサーキット代、バイクのメンテナンス代に使っているビンボー人だ。そんな俺だが、一時期、俺は何故かケーキにハマっていた。街でケーキ屋を見つけると、とりあえず入ってみる。そして、イチゴのショートケーキを買う。

ある日、なんとなく地元のケーキ屋に行った。商店街にあるそのケーキ屋は、店内に椅子とテーブルがあり、買ったケーキをその場で食べる事ができるお店だった。メニューにはコーヒーや紅茶もあり、ちょっとした隠れ家みたいな雰囲気で、俺は時々ケーキを食べに来るのだった。


久しぶりにその店に入ると「いらっしゃいませ」と、明るい声。ふと見ると、酒井法子みたいな女がいた。かわいい人だなーと思いつつ、「コレ下さい」とイチゴのショートケーキを買った。「店内で食べてくんで」と言い、追加で紅茶を注文。

んー、やっぱりイチゴショート最高だよなと思いつつ、ケーキを食べていると、酒井法子みたいな女(以下、法子)が俺に話し掛けてきた。「ケーキが好きなんですね」と笑っている。「ああ、いや、その……好きです」と何故か照れる俺。

法子との会話はそれだけで、俺は黙々とケーキを食べ、紅茶を飲んだ。「ありがとうございました」と法子に見送られ、店を出る。ああ、緊張した。なんであんな人がいるんだよ。いつもはおばちゃんなのに。などと思いつつ、その日は家に帰った。

それからも、ツーリング先で見つけたケーキ屋や、遊びに行った先で見つけたケーキ屋に入っては、イチゴのショートケーキを買って食べていたのだが、ふと、また地元のケーキ屋のケーキが食べたくなり、俺はケーキ屋に足を運んだ。

「いらっしゃいませ」と、明るい声。あの人だ。
「あ、こんにちは」と法子が言った。一度だけなのに、顔を覚えたらしい。「あ、はい。こんにちは」と、少々キョドりながら返す。そしてまたイチゴのショートケーキを買い、紅茶を注文した。なんとなく緊張したけれど、それでもケーキはおいしかった。

それから何度かケーキ屋に通ううちに、「こんにちは。イチゴショートと紅茶、ですよね」という感じで、すっかり覚えられてしまった。その頃になると、あまり緊張することもなくなり、俺の他に客がいない時には、雑談をするようになっていた。

最初は、当り障りのない天気の話や、ニュースの話などをしていたんだが、そのうち、好きな歌手の話や、休みの日には何をしているのか、などという話をするようになった。

法子は24歳で、実家で家事手伝いをしながら暮らしていて、仕事はケーキ屋のバイトだけと言っていた。19歳と言ってもわからない位、法子は若くみえた。実際、24と聞いた時、俺は随分驚いた。そして法子に怒られたんだが。


そんなある日、俺はバイクで出かけていて、その帰宅途中に法子が歩いているのを見つけた。俺はバイクを停めて法子に声を掛けた。法子は警戒している様子だったが、ヘルメットを脱いだ俺の顔を見ると、ほっと安心したような表情をした。

買い物をして、これから家に帰るところだと、法子は言った。法子は、俺がバイクに乗っているのを知って驚いているようだった。「い、家まで送らせて下さい」と、俺はバイクを降りた。「送り狼、ですか?」と法子が笑った。
俺はバイクを押して、法子と一緒に歩いた。

「かわいいバイクね」と法子が言う。その時に乗っていたのは、ミニバイクレースで使っていたバイクだった。「これなら私でも運転できるかな」と言う法子。俺は思わず、「乗ってみます?」と言ってみた。しかし法子は免許が無かった。「じゃあ、後ろでよければ。今度乗ってみますか?」と言うと、法子は少し俯いて、考えていた。

「ん…うん。乗せてもらおうかな」……マジっすか。

素直に嬉しかった。バイクに興味を持ってくれたのが嬉しかったのか、法子とタンデムできるのが嬉しかったのか、この時はよくわからなかった。


法子の家は、商店街を挟んで俺んちと反対側にあった。「あ、ここでいいです」と、家から少し離れたところで法子は言った。「あの角の家が、私の家なんですけど、親に見つかるとうるさいから」
やっぱり男と一緒のところを見つかるとやばいのかな?と思い、「あ、はい。じゃあ、またお店で」と言い、俺は家に帰った。

何故その時に約束しなかったのかというと、俺がまだまだ青い小僧だったからだ。まあ、それはともかく、その日はなんだか嬉しくて、なかなか眠れなかったのを憶えている。法子への淡い恋心が、この時芽生えていたのだろう。それからまた何度かケーキ屋に行き、俺は法子とタンデムで出かける約束をとりつけた。

そしてその日がやってきた。友人から借りたヘルメットは俺が使い、俺が使っていたヘルメットを、法子に使ってもらった。バイクを走らせて、葛西臨海公園に行った。公園には人工渚があり、誰でも、そこを散歩することができる。

法子は楽しそうに笑っていた。そんな法子を見て、俺も笑った。どちらからともなく、手を繋いでいた。手を繋いで、渚を歩いた。ドキドキした。法子の顔をちらりと見る。法子はそんな俺に気づかずに、まっすぐ前を向いて歩いている。

ふいに法子が言った。「こんなにのんびりするのは久しぶり。このままずーっと、こうしていられたらいいのになー」と法子は空を見上げた。
「明日はバイトじゃないですかー。それに、そろそろ帰らないと遅くなっちゃいますし。また連れてきてあげますよ」と無粋な事を言ってしまう俺。法子は「・・・・・・そうだね」と寂しそうに笑った。法子とタンデムしたのは、これが最初で最後だった。


その後、何度ケーキ屋に行っても、法子には会えなかった。法子の家に行ってみたりもしたが、チャイムを押す勇気は無かった。そのまま何もできずにいたヘタレな俺は、いつしか法子の事は記憶の片隅に追いやっていた。

それから1年ほど経過したある日の午後、俺は意外なところで法子を見かけた。ウチからふたつ離れた駅の近くで、車椅子の老人を押している法子。「法子さん!」バイクを停めて、俺は走った。法子は驚いていた。どうして急にいなくなってしまったのか、俺は理由を訊いた。

「色々あってねぇー・・・・・・」と、法子は溜息をついた。
「今、仕事中なんだけど、もうすぐ時間だから。少し待ってて。駅前の喫茶店で待ってて?」

俺は法子を待った。小一時間ほど待った頃、法子が現れた。法子は今、家を出て介護の仕事をしながら、アパート暮らしをしているという。何も言わずに姿を消した理由は・・・・・・



――法子はひとりの男に付きまとわれていた。友達に紹介されて付き合いだしたら、実はその男は暴走z・・・いや珍走団だったのがわかった。しかし、何度別れようとしても、決して別れることはできなかった。何度も殴られた。顔は殴らず、腹や胸、脚などを殴ってきた。俺と知り合ってからも、その男とは別れる事はできず、家にまで押しかけてくる事もあった。警察に相談しても、まともに相手にしてもらえなかった。無理やり集会に連れ出された事も、何度もあった――


こんな具合だったから、俺に危害を加えられないようにと、彼女は俺の前から姿を消したのだという。俺は怒っていた。彼女にではなく、相手の男に対して。そいつの居場所を教えろと言っても、法子は首を横に振るだけだった。「もう、終わったことだから」

終わったこと?・・・・・・それってどういう事だ?訊ねると、今は、その男とは別れる事ができたらしい。男は、障害事件を起こして捕まったそうだ。
「そうだったんだ・・・・・・」
「うん・・・・・・」

――沈黙の時間が、ふたりの間に流れた。


カシャカシャカシャチ―――(・∀・)―――ン!
調子のいい話だが、ケーキ屋に通っていた時の、あの頃の気持ちが蘇ってきた。あの日繋いだ手の温もりを、思い出した。
「法子さん、あの、俺・・・・・・」言いかけた時、法子が口を開いた。
「大沢くん、あのね・・・・・・私、子供を産んだの」

――脳天をハンマーで殴られたような衝撃が走った。

「殴られるから言いなりになるしかなくて。それで、妊娠した事がわかったら、あの人、堕ろせって言ってきて。私、このままじゃ殺されるって思って、友達の家に逃げ込んで・・・・・・」

望んで出来た子供ではなかったが、法子は、小さな命を消してしまうことはできなかった。そして妊娠した事が両親に発覚し、両親、特に父親が激怒。家に居ることも出来なくなり、法子は家を出た。
法子は、淡々と話してくれた。そして、いつか行った臨海公園の話を始めた。

「楽しかったなー、あの日。ほら、臨海公園に連れてってくれたじゃない。あの時ねー・・・・・・」

――法子は、あの日、いかに楽しかったかを俺に語った。

「それでね、あの日拾った貝殻・・・・・・」
「もういい。もういいよ。法子さん、俺とつk」
「無理よ・・・・・・」
「どうして。だってあの男はもう・・・・・・」
「あの人の子供を愛する事ができる?」

その言葉に、俺は固まった。


「もう、大沢くんとは会わないつもりだったし、もう、会えないと思ってた。でも、今日、偶然また会う事ができて、嬉しかったよ。私を見つけて、声をかけてくれたことが、嬉しかった。」そう言いながら、法子は涙を流した。
「ごめんなさい。私、もう行くね。大沢くん、ありがとう」
そう言い残し、法子は喫茶店を出て行った。俺は法子を追いかけることはできなかった。俺の、淡く、幼い恋は、こうして終わりを告げた。


おわり



――後日談――

その後、一度だけ、偶然法子と再会したことがあった。年齢を重ねても法子は相変わらず、若く見えた。
「最初はね、自信なかったんだけど、やっぱり自分が産んだ子だし。子供って、すごくかわいいのよ」と言った法子の笑顔を、俺は今でも憶えている。



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